
特集
「えにし風」の漆喰シーサー
「多様なお店がたくさんあるイメージがないから、実は嘉手納にもいろんなお店が有るんだよってアピールしたくて嘉手納で開業する事を第一に考えました。」
漆喰シーサーの製造、販売を行う「えにし風」は嘉手納町の真ん中にある。


今では誰もが知るシーサー。沖縄では魔除けとして設置されている。正面から見て右側に置かれ、福を呼び込む、邪気を払うとされる口の開いたシーサーが雄。左側は災害をうちに入れない、福を逃さないとされている口の閉じたシーサーが雌。
えにし風には、魔除けとしてだけではなく、生活に彩りを与えるシーサーがたくさんいる。



あの日、あの場所、あのタイミングで…
本島北部出身の島袋さんは、事務職や接客などのお仕事をされていて、人生の区切りのタイミングでこれまでとは全く違う仕事に携わってみようと挑戦したのが、体験型施設のシーサー作りのお店だった。
元々絵を描くのが好きだったそうで、お話を伺っていると必然的な流れでシーサーを作成しているように思えた。人生には様々なターニングポイントがあり、出会う人たちによって開かれる道がある。
仕事にも慣れた頃、諸事情により制作から離れることになってしまう。
その後体調を崩し療養する中、ふとシーサー作ってみようかな…と思いたち、自宅で漆喰シーサーを作り始める。
趣味として、自分が好きなシーサーに向き合う。ちょうど同じ頃、友人がお店を構えることになり、制作したシーサーをお店に置いてくれる事になった。
趣味で再開したシーサー作り。お金もらえるの?と自問する時期もあった。

強度をつけるため、沖縄の漆喰にセメントを混ぜて作成されている。


その友人を通じて一時親交が途絶えていた友人から、「許田の道の駅にシーサー並べてもらおうよ!」と突然の連絡。
許田の道の駅。沖縄で一番の道の駅。目に触れる人の数がどれだけ増えることか…
「考えてみる」と濁したつもりだったけど、あれよあれよといくつかのシーサーを持って道の駅に足を運ぶことに。
「じゃあ、とりあえずここに置いてみて」とサンプルとして持っていった作品が商品として店頭に並ぶことになった。
「量が少ないから、もっと持って来てね。お店の名前は?」
突然「店名」が必要になる。
後日、追加作品と一緒に店名を決め納品する事となり、一旦帰宅。頼りにしている別の友人に「縁は入れたいんだよね。でも漢字だと硬いから、えにしって平仮名にしようと思って」と相談。
散々検討し「お店の名前、”えにし屋”にしようと思うってその友人にメールで送ったら、”えにし風”いいんじゃない!って返事が来て。」
「え?”屋”でなく”風”?オオー、それ良い‼︎」
友人の読み間違いの一言によって、「風」を使うことを決め”えにし風”となった。
えにしは風に乗って。シーサーが繋いだ縁。
10年以上前、「沖縄で買った漆喰シーサーが壊れてしまって、直してくれるところを探している。」という連絡が入る。写真を送ってもらうと、それはえにし風初期の頃、レンタルBOXで販売していたシーサーだった。
よく、うちにたどり着いたなーと思ってやり取りをして、実際に作品を送ってもらい、できる限りの修繕を施し、お客様に送り返す事に。
どうしても直してほしくて必死で漆喰シーサーを扱ってて修繕してくれるところを探したと話すお客様。
島袋さんは、制作した所を探して、連絡してきたと思っていた。
商品についての全てのやり取りが終わった後に、島袋さんが制作した本人と知り、とても驚いていたそうだ。
奇跡的な偶然。島袋さんにとっても送り出したシーサーとの奇跡的な再会。
まさにシーサーが繋いだ縁。今でもそのお客様とは交流があるそう。
作った人の気持ちが受け取った人に伝わり、大切にされていることも実感できるエピソード。
島袋さんの話してくれるエピソードのひとつひとつに縁の強さを感じる。



いつでもフラットに。気持ちを真ん中に持ってきてくれるえにし風のシーサーたち
えにし風のシーサーの目には魔除けの石であるオニキスを入れている。
シーサーの目力に納得する。
「目の部分を凹ませて成形するのは手間だったんだけど、せっかくならパワーのある作品にしたいなと思って。」とパワーストーンに詳しい妹さんに意見をもらって唯一無二のシーサーとなった。
「目を入れることで魂が宿るというか…。買ってくれた人のために頑張れ!!という気持ちを込めて目を入れているわけさ。」と話してくれた。手に取ってくれた人のことを一番に考え、子どもが巣立つような気持ちで見送られるシーサーたち。
「とっても気持ちを込めて作ってるつもりなのにユタ(沖縄の霊媒師)さんに、念がなくていいシーサーだねって言われたことがあって。はぁぁああ????ってなったことがあったわけ。」と笑う。
「でもよくよく聞いたら、気持ちがこもってないってことではなくて、邪念がなくて、これを手に取る人を中心に戻してくれる存在のシーサーだねって。マイナスなときもプラスのときも気持ちをフラットに。いつも芯がそこにあって、何かあっても、そこに戻してくれる。普通なら引き上げの念があったほうがいい気がするさー。でも違うって。いいときも悪いときも冷静な心ってのが大事なんだって。ここの作品にはその力があるって言われて逆に嬉しかったさ」と笑って話してくれた。



「一つの作業をずっと続けたらストレスになるから、同じシーサーの色付けにストレス感じてきたら石敢當の文字書いてとか、それにストレス感じたら、また違うシーサー色付けてとか、ストレスを感じながら作るのは嫌だし、作品にも申し訳ない。でも淡々と同じ作業が続く事は苦手。」と笑っていたけれど、どこを切り取っても全てが職人技。
漆喰とセメントを混ぜてベースを作り、土台を作り、パーツを作り、成形し、乾燥させて、色付けして。敢えて工程を分け、パーツや製品の種類を増やし、ひとつひとつの工程を楽しみながら作られているえにし風の作品。話を伺えば伺うほどたくさんの人に出会ってほしいと願うのも必然だった。


夏になると、不定期で漆喰シーサーへの色付け体験を道の駅かでなで行っている。ほとんどが地元の人。空席があれば観光客も飛び込み参加する事も。
様々な地域や国へ。
嘉手納町から今日も誰かの目に止まり、手に取られ、旅立つシーサーたちがいる。
我が子として送り出される作品たちは、きっとこれからもここから縁を風に乗せて届け続ける。