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「広島お好み焼き54」から始まる広島焼きの文化
10月10日はお好み焼きの日。鉄板の上で「ジュージュー」と音を立てることから制定されている。
本当はその日にオープンしたかったんだけど…」と話すオーナーの佐藤さん。
2022年12月に広島お好み焼き54はオープンした。
海の見える地域でお好み焼き屋を。ゼロからの挑戦。
オーナーの佐藤さんは元々は大阪でパティシエとして社会人生活をスタート。過酷な労働環境から身体を壊し、好きだった車の運転を仕事にしようと22歳の頃から土地勘もない広島でタクシーの運転手として働き始める。
いつもはコンビニでぱぱっと済ませていた合間の食事。飽きたなーと思い、広島だといつでもすぐ近くにあるお好み焼きのお店に、たまたま入り、そのおいしさに衝撃を受ける。
パティシエ時代に鍛えた舌が無意識のうちにお好み焼きランキングをつけていく。
タクシーを運転しながら、いつかは海の見える地域でお好み焼き屋でも出来たらなーと考えるようになっていった。
30代も半ばになった頃、まずは!と思い、オタフクソースの会社が開催している起業希望者向けの3日間の研修に参加し、作り方や原価計算の仕方や仕入れの方法を学ぶなど、少しずつ起業への夢を膨らませていく。
小学性の頃から広島で過ごしていた奥様の美那子さんは沖縄出身。北海道の家族からも熱望され、導かれるように沖縄へ。
本物の技術を習得し、沖縄へ
本場の味を嘉手納町で。新たな挑戦が始まる。
本場広島の有名店を修行先に選び、6年間本場のお好み焼きに向き合い、いざ沖縄へ。
横のつながりが強い沖縄での物件探しは難航し、沖縄市や読谷村など人の多い地域で探していたが、なかなかいい物件に出会えないまま半年が過ぎようとしていた。
「はとぽっぽ、元気なうちに引退するらしいからお店貸してもらえないか聞いてみたら?」と親戚の方から情報を得て、話を伺い、大家さんに交渉し、ここの場所を借りられることになった。
通り沿いといえど、バイパスが出来て立地的には通る人が限られるこの場所。出店場所はとても大事だけど、色々食べ歩いて沖縄には本格的な広島お好み焼きの店はないことはわかっていたのでどこでも勝負の仕方はあると踏んでいた。
広島では新幹線の駅の目の前で、個人店が1ヶ月で焼く枚数を毎日焼いていたので、味だけでなく技術にも自信があったと話す佐藤さんと、お好み焼きの文化のないところで出店する不安はあったと話す美那子さん。
嘉手納町で「本物」をぶつける。
はじめの頃は認知度もなくて、立地的にも閑散とする日も多かったそうだが、今では「いつ行ってもいっぱいだよ」とみんなが口を揃えるほどの人気店。近隣のお客様だけではなく、広島や関西出身の方が那覇や名護からも足を運んでくれるという。
本物の味を求める人たちの来店が増えていった。
広島県人会の方がフェイスブックで紹介してくれたり、広島出身の方が口コミを書いてくれたことで説得力が増し、少しずつ認知され「目指してきてくれるお店」になった。
「広島お好み焼き」という新しい文化を、店舗の歴史の上に乗せていく。
店内には大きな鏡が貼られ、壁には昭和レトロな電灯が設置されている。老舗美容室「はとぽっぽ」で使われていたものをそのまま利用することで店舗の歴史を残した。
「沖縄で広島お好み焼きって文化がないからゼロからイチの挑戦。認知がないというゼロスタートだから増えていくことしかない。それが面白いし、1年半経って、わざわざ探して来てくれる人が増えていくのが本当に嬉しい」と話してくれた。
「嘉手納町に行く」という目的を作っているお店。
本格的な広島お好み焼きはそばかうどんが選べ、知っている人ほど「うどんもある!!」と喜んでくれるそう。
うどんは広島からから取り寄せ、縮れ麺とおつまみとして人気の餃子は佐藤さんの地元・北海道から取り寄せる。
広島お好み焼きはキャベツの甘みが大事なので、寒暖差のある地域で作られたものを使う。
素材に拘るからこそ、一度食べた広島お好み焼き初心者の心もぐっと掴む。
本場の定番。そして思い出メニューのリバイバル。
いつの世までも、広島の味が沖縄で続くように。
一見さんでご来店され「イカ天」を頼まれると広島の人なんだなとわかるほど、イカ天はローカルな定番。そこにチーズ、イカとエビのスペシャルが人気メニューとして続く。
外の看板にホワイトチーズ焼がレギュラーメニューになったと記載されていた。
美那子さんが高校生の頃、たまに食べたくてそれ目的で行っていたお好み焼き屋さんにあったメニューをまた食べたいと佐藤さんに作ってもらい、冬限定で提供していたら、根強いリピーターに「いつも食べたい」と言われたり、外国人のお客様に「これはメインメニューにするべきだ!」と言われたり、確実にファンを増やし、レギュラーメニューへと加わった。
沖縄の国道58号線のような主要道路は広島だと54号線。広島を知っている人こそ、国道から名前をつけたの?と言われるそう。
「いつ(五)の世(四)までも末永く」
そう願いを込めて…強い意思を持って、店名を決めた。
将来の展望を伺うと「沖縄で広島お好み焼きが当たり前に食べられるように継承していきたいんだよね!」「広島お好み焼きの伝道師になるんだよね!」と美那子さんにセリフを奪われる。
厨房の中心はもちろん佐藤さんなのだけど、お店の強みやこだわりや展望を伺うと必ず美那子さんが答えてくれる感じが本当に素敵。
佐藤さんが作るお好み焼きが本当に好きで一緒に広めていきたい。その想いが言葉の節々にしっかりと現れている。
お好み焼きを囲むハイビスカス、三線、キャベツやヘラ、そしてミンサー模様。ロゴに込めた想いが少しずつ沖縄全土に広がっている。
嘉手納から沖縄全土に。広島お好み焼きの文化を伝えていく。
「広島お好み焼き54」詳細は↓こちらから