「歴史と文化の交差点」嘉手納町

MENU

特集
HOME > 特集 > 笑顔溢れる新町通りの花屋さん「あい花」

特集

笑顔溢れる新町通りの花屋さん「あい花」

1987年創業。嘉手納町にある老舗の花屋さん。

私自身、子どもの頃からとってもお世話になっていた。

卒業式や、離任式。社会人になってからも退職される先輩方への花束はいつも「あい花」にお願いしていた。写真に映る花束はいつも「あい花」だった。

そして部活をしていた頃には、折り鶴で作った鶴文字をラッピングするための透明のフィルムでも相当お世話になっていた。

イメージをカタチに。
気持ちを花束で表現してくれる

変わらない笑顔で迎えてくれる先代。「花を愛する」という意味を込めた名前の店は、次の世代へと受け継がれる。

それでも、10年以上ぶりの来店。こんにちはと声を掛けると、裏の方から出て来てくれた顔を見て安心する。

お話を伺う間も、店頭から挨拶をしてくる人が絶えず、30年以上、嘉手納の真ん中で町の花屋さんとして根付いてきた歴史を感じさせてくれた。

「暑いから中に座ったら?」と外にいる人に声をかけ、椅子を差し出す。

古宇利島出身のますみさんのお兄さんは本土で学んできた知識と技術で、ガーデニングという言葉がない頃から魅せる庭を造っていた。元々あった池の周りに見たことのない花々が植えられ、整えられていく過程に衝撃を受ける。

当時はそんな庭は沖縄本島にもなかったので島を訪れた人が立ち寄ってくれる古宇利島の花と緑のスポットになっていった。その頃から自宅は花だらけ。

そんな環境によって、小学校から高校を卒業するまで学校の花瓶に花をさして回っていたそう。その姿を見ていた当時の先生に声を掛けられ、花のことを色々と教えてもらった。

話を伺うと始めるべくして始まった花屋さんとしての人生。店名には花を愛するという意味を込めた。

愛という字は硬いから、平仮名にして「あい花」と名付けた。

現在は娘の絵理奈さんにお店を引き継いでいるところだということで、自分の代で終わりだと思っていたお店のこれからを嬉しそうに話してくれた。

「子どもの頃から仕事仕事で朝も夜も家にいないし。細かいし力仕事だし…絶対に花屋にはならないと思っていた」と話す絵理奈さん。

10年ほど前、なんとなく手伝い始めたら、楽しくて、どんどん引き込まれていった。子どもの頃から見ていた母の手仕事。

「子どもたちをおんぶして店に立ってたからね。」

生まれた頃からずっとお花に囲まれた生活をしてきた。

お花って絶対に必要なものではないから。「地元に全力」「地域の役に立つ花屋であり続けたい」

3年ほど前に、ずっとなかったロゴを作ることになった。

柔らかいタッチの花の絵は「繋がり」をイメージして作成し、差し色にしたのは嘉手納町の町花であるハイビスカスの赤い色。

嘉手納町に根付き、二代目へと続く老舗の花屋さん「あい花」。

この日も、地域の会社の方がお祝いのお花を手配に来ていた。

「いつものように」「前回は…」と自然と出てくる様子に関係性の歴史や信頼がみえる。

「今は8割以上、母の顔でお店やってます!」と初代の肩に手をおいて笑顔で話す二代目の姿に引き継がれていく筋が見える。。

そして間髪入れずに「絵理奈さんがSNS等で発信して色んな地域のお客さんと繋がったり、広がっていくから未来が見えるよね」と。

お互いに尊敬し、尊重しあえている姿に心を打たれる。

お花に溢れる店内の様子

「笑顔で接して、笑顔で対応する」それがあい花の魅力を作ってきた。

この仕事をしてて一番嬉しいのはどんなときか伺うと、ふたりとも一緒に「お客さんのイメージと一致したとき」と答えてくれた。

オーダーを受ける際に要望を聞いても人によってイメージの捉え方はそれぞれで100%となるのは本当に難しい。

出来上がったものを見たときの反応や「あげないで私のものにしたい」とお客様に言われたときが一番だよねと顔を見合わせて頷き合っている姿がとても印象的だった。

お花って絶対に必要なものではないから、「お花を買う」ということが非日常だったりする。

だからこそしっかりとイメージを伺い、自分事として捉え、お花として表現する。

お客様に向き合ってくれるお店だからこそ地域に根づき、地域に愛され続けている。

「地元に全力」「地域の役に立つ花屋であり続けたい」と話してくれた絵理奈さん。柔らかい口調だけど力強い言葉。

きっと、これからもずーーーーっと嘉手納町を彩る花屋さんであり続ける。

あい花」の詳細は↓こちらから

ライター : 古市萌