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アーティスト一家が届ける「海が見えるそば家」という作品

「海が見える 沖縄そば」で検索して来てくれる人が最近多くて…

単純な名前で恩恵受けてると奥様の京子さんが笑う。

この綺麗な海を観てもらうための挑戦

天気の良い日曜日の午後。

長女のMIKUさんの描いた優しいタッチの枠越しに嘉手納の海を眺める。

元々「ふらんすしょくどう」として37年前に店をオープンさせた。

フレンチの料理人だった弟さんと一緒にフランスの家庭料理を提供していた。当時はテレビでフレンチのシェフなどがクローズアップされ、「フレンチ」という言葉が耳馴染みが出てくる中、フランス料理が食べられるところも少なかったこともあり、県内全域からお客様が来てくれた。

「未だにその頃から通ってくれるお客さんもいるよー。」

「お腹にいた子が親になって三世代で来てくれたり。」

歴史のあるお店の魅力。

「観光客で毎年来てくれる人もいるし、空港からうちのそばを食べに来てそのまま空港に戻るという人もいたりして…」

それも一組や二組だけではないというと事が本当にすごい。

フレンチのスープから沖縄そばのだし汁へ

2002年2月2日。

「海が見えるそば家」はオープンした。

綺麗な海が目の前に広がる好立地。昼間に来てもらえるスタイルにしようと決意し、

「ふらんすしょくどう」14年の歴史に幕を降ろした。

そば屋に転換させるための期間はたった2ヶ月。

沖縄のそばの味を決めるのはだし汁。

たくさん美味しい沖縄そばを食べてきてるし、スープを作るノウハウもあるので、早い段階でベースのだし汁は完成し、2ヶ月でのオープンも多少気楽だった。

いざオープンしてみると、何かが違う…

美味しいんだけど…

お客様にハマっていない感じ。

14年の歴史のあるレストラン。

リピーターの多いレストラン。

そば屋に転向しても通ってくれる人がほとんどだった。

それは本当にお店としての魅力。小橋川夫妻に会いに来て、二人の作ったものを食べたいと通っている証。

だけど、なんだかしっくりきていない。

縁や情もあって食べてくれるけど受け入れられていないような感覚。

単体で頂くフレンチのスープとは違って、沖縄そばは麺と一緒に楽しむもの。麺に絡むだし汁になっていなかった。

そこから10年の試行錯誤を経て、今の「あっさりだけど奥深い」だし汁を纏う沖縄そばに辿り着く。

お金を頂く以上は妥協は出来ないし、その時その時のベストを提供し続ける。

もちろん、その間もお客様は来てくれていたし、結果としてだし汁の進化の過程をお客様も共に歩んでもらっていた。

素材に拘り無添加を貫く、三世代で食べられる沖縄そば

素材の良さを引き出し、無添加に拘る。

店主の小橋川さんは「何もこだわってないよ」と笑っていたが、どこを切り取っても拘りしかないだし汁。

「あっさりしすぎていた」とご本人が表現された一番最初のだし汁から、改良を重ねる中で妥協しなかった素材への拘り。

いつも来てくれる親子から「他のそばでは食べたあとにアトピーがひどく出る子どもが、ここのそばでは全くでなくて、安心して食べさせられるお店に出会えた」と言ってもらえたことが生み出し切れていない苦しい時期に本当に励みになったと話してくれた。

やっぱり、お客様というものは正直でわかりやすい。

だし汁の進化に伴ってお店に安定感が出てきた。

日曜日の午後。海が見えるそば家は満席だった。

軟骨ソーキの発祥??”トロトロ”を形にした軟骨ソーキそば

MIKUさんに一番人気を伺うと「肌感覚的に沖縄そばか軟骨ソーキですかねー」ということだったので、軟骨ソーキそばを頂くことに。

豚骨ベースに昆布と鰹を使い、10時間かけて仕上げただし汁。添加物を一切使わないというこだわりが味のある板のメニュー表に記載されていた。

素材が主役のだし汁は本当に「あっさりだけど奥深い」味わいだった。

当時は安価で手に入りやすいけど、軟骨ソーキは固くて食べられるところが少なく、好んで食べる人はいなかった。火入れの仕方を工夫し、トロトロに仕上げてそばのトッピングにすると、たちまち人気商品に。

話を聞いて食べに来てくれる人も少なくなかった。

素材が主役のだし汁は本当に「あっさりだけど奥深い」味わいだった。

当時は安価で手に入りやすいけど、軟骨ソーキは固くて食べられるところが少なく、好んで食べる人はいなかった。火入れの仕方を工夫し、トロトロに仕上げてそばのトッピングにすると、たちまち人気商品に。

話を聞いて食べに来てくれる人も少なくなかった。

「世界遺産」と言われる沖縄そば。自慢できるのは自信があるから

たくさんのお客様に愛される海が見えるそば家の沖縄そば。

コロナ禍では子どものお客様から「コロナだけど元気でやってますか?」という励ましの手紙が届いたりもしたそう。

「一つだけ自慢してもいい?」と話してくれたエピソード。

「うちのそば食べて”初めて美味しい沖縄そば食べた”と言ってくれる人が本当にたくさんいるわけ。その言葉を聞く度に、本当に曲げないで良かったな、やってて良かったなと思う。」

「定期的に来てくれるお客様にいろんな人にオススメしていると言われ、見せられたLINEのトーク画面にはお店のURLのあとに”ここのそばが県内一だよ。世界遺産に登録してほしいくらい”と書かれていたのをみんなで大笑いして。やっぱり、そういうのが一番嬉しいよね。」

「どこのお店も一生懸命作っているから、美味しいお店はたくさんあるんだけど、そうやって言ってくれる人がいてくれることがお店を続けていく意義となり、糧となる。」

そう話してくれたオーナーの小橋川さんと奥様の京子さんは気さくで、人を受け入れてくれるお二人だった。

単純でわかりやすい名前は横浜から。「そば家」としての空間

結婚した頃に行った横浜で「港が見える丘公園」を見て、わかりやすくていい名前だなーと思って「海が見えるそば家」という店名に。

「でも、海を見ながらご飯を食べれる場所は沖縄にはたくさんあって、ここは海が見える環境の中ではいい景色ではないでしょ。防波堤も高いし、砂浜もないし。」と謙遜されていましたが、MIKUさんの描いた枠から見える海と空は本当に青く綺麗で、いつまでも見ていたくなる居心地のいい空間。

そこは確かに「そば屋」ではなく「そば家」だった。

「海の見えるそば屋」詳しい詳細は↓こちらから

ライター : 古市萌